「多分、ポケットにはいるくらいのラブシーン。」







 阿部の家の近くには小学校があって、だから、彼の部屋の、表通りに面した窓からは、ときおり、思い思いにはしゃいだ、不揃いなお喋り等が聞こえてくる。
 カーテンの端を少しだけ摘んで、隙間から、三橋は通りを見下ろす。赤に黄色、青。ちいさな子供の、それらしいあざらかな色の傘が、通りを一列に流れていく。色彩は、阿部の家の角の路を曲がってしまうと、見えなくなった。けれど、暫くお喋りは声高に伝わってきたりする。のち、フェードアウト。
 雨脚は強くはないけれど、さわさわと窓越しにも雨垂れが涌いていた。耳許にサイダーの瓶を押し付けて、微かな感じで、炭酸の弾ける音みたいなの。三橋は、窓硝子に額を押し付け、それから首を傾ぐように移動して、ぐりぐりと耳を窓に押し付けた。阿部に羽織らされたパーカーがむき出しの肩からずり落ち掛けて、右手で押さえる。
 三橋の肩口には、幾つかの歯形と、鬱血の痕がある。借りた部屋着のパーカーは、阿部のからだと同じ匂いがする。

「一度噛みついてから吸うと、痕が濃く出ンだッて、」

 三橋を組み伏せ、阿部は可笑しげに目を光らせて、そう言った。好奇心で、口許はゆるくカーブしている。笑みのかたち。小鼻の膨らみが、阿部の興奮を如実に顕していた。悪戯、企みにひかる、無邪気な顔だった。
 おおきく、ばくり、と噛みつかれるよりも、前歯だけで、ちょこっと噛まれる方が痛かった。試す眇めつ、肩、肘、脛、腿、脇腹に、胸、だとか。部位は問わず歯を立てて、吸う行為に呼吸を乱していた阿部は、とても剥き出しの状態だ、と思った。身体を晒しているのは自分なのに、いいようにされているのに。三橋は、縋ってくる阿部があんまり無防備な気がしてどきどきした。このままこのひとを、自分の思うままに出来てしまうのではないかと、思った。


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2006/03/19発行「多分、ポケットにはいるくらいのラブシーン」より。
「雨の幕間」冒頭部。短篇二本収録。