いばらひめ






(ある日突如、頭から花の咲く、と言う奇病。)

 頭部を覆うように発芽し、開花することから「花冠病」と名付けられる。名の通り、花の冠を頭に頂いたような形状を取る。花自体には害はなく、頭部と接続されている茎の部分から極少量の養分と水分を宿主の身体から摂取するが、それ以外に目立った症例は報告されていない。

 最近発見されたというこの病気は、当初、新聞各種で取り上げられたが、数週間後には発症者は各国何万人と膨れあがり、主だった害もないから、特に珍しい病とはされなくなった。



 阿部がその病を発症させて、西浦ナインは特に騒ぎもしなかった。ぽってり重たげに花開いた花冠を戴く阿部を、「あら可愛い、」と揶揄いはしても。
咲いた花はいつの間にか花を散らし、萎れ、枯れ落ちてしまう、ときいていたから。

(けれど、だれも、しらなかったの。)
(だあれも、それは、しらないの。)

 ほんとうは、そのはなは、こいのはなだってことを。



 花冠の所為でヘルメットの被れない、と言う意外な盲点から、キャッチャーを退く阿部。それでも、数日の心算だから、田島に言い含めて、ブルペン、ネット越しから、三橋に指示を出す。
「三橋、大丈夫だ、花なんて、直ぐ、散ッちまうよ、」
 直ぐに元通りだ、なんて。
 花なんて、簡単に手折ってしまいそうな彼でも、自分の身から出た、白く甘いかおりを放つ可憐な花に、ある種の愛着を感じるようだった。
 花は何時しか彼の頭からこぼれ落ち咲き乱れる。



 この花は、あたまのなかで勝手に育つ恋心が、花となって頭から生えてきてしまう、という病気なのだった。
 その花は恋、そのものなので、一輪、萎れる事、一輪、散る事に、恋する相手のことを忘れてしまう。

(白い花弁のひとひらは、くちにすらしたことのない、あいのことば、そのものだった。)



 花は彼から執着を、情熱を奪う。



「ごめん」
「三橋、ごめん。」
 阿部は繰り返す。


「屹度この花が散りきったとき、俺の、今までの言葉は全部嘘になる。」

 阿部は、好きだ、と言った。
 三橋に恋ていると、彼なりの、幼く拙い言葉で、それでも精一杯、今まで伝えてきた。阿部は言葉を尽くしてきたはずなのだけど、それでも、どうしてもっとたくさん、好きだと言わなかったのだろう、と途方に暮れたように呟く、そして、悔いるのだった。
「花が一輪散るたびに、お前のことが薄れてく。」
「あんなに好きだったはずなのに。」
「花が散ってしまうのが怖い。」
 花のひとひらが、甘いかおりをこぼす。阿部がくちづけをすると、三橋の鼻に、それは一層濃く残る。あまいにおい。阿部の恋、そのものの匂い。切ない匂い。

 花は、尚も今零れて散り落ちる。
 花の死の、乾きは恋の、花芯を目指して。




「みはし、みはし、みはし、みはし。」
 すき、と。すきだったんだ、ほんとうなのだと。信じて、忘れないで呉れと、阿部は縋る。
「ほんとうに、おまえのことすきだったんだ。」
「そう、おれのこと、すきだったの、」
 愛の言葉が過去形になっていることに、当の阿部は気付いていない。

 伝える彼のくちびるは、いつかの灼ききれるような情の熱さは消え失せて、ただいまは、この感情のあったことばかり三橋に伝えることが肝要で、そこに恋の匂いは薄れていく。
 花の匂いそのままに。

「なあ、どんなに、俺が三橋のことを、好きで好きで仕様がなかったこととか、俺が、忘れてしまうなら、それは、なあ、無かったことと同じなんじゃないか?この気持ちは、忘れてしまったら、最初ッから、存在しないのと、同じなんじゃないか?」

 最後の一輪を残すばかりとなった阿部の花冠は、いつかの満開、ぽってりと重たげな花房は散り失せ、冠と言うよりは簪のようなそれで、耳にかけるように引っ掛かる一輪は、風の吹くたびに、脆弱に揺れる。恋の終わりに怯え、か弱く震える、彼そのままに。
 阿部の頬には、夜露のような涙がこぼる。花の死に水のような、澄んだそれは、流れ星のように、微かな線を引いて零れおちた。
 三橋が阿部のくちびるに、自分のそれを押し付けると、花弁が一枚、ひらり、と落ちた。



「大丈夫、忘れないよ。」

 三橋が呟く。阿部は目を瞠った。
「阿部君が忘れても、俺が覚えてるよ。阿部君が俺のこと好きだったこと、たくさん俺のことを好きって言って呉れたこと、嬉しかったこと、俺も好きだったこと全部、俺が覚えてるよ。だから、その「好き」は、ねえ、なかったことには成らないよ。ずっと、ここにあったんだよ。」
 ここに、と。押さえる胸元、てのひらのおくでは、鼓動、脈打つ。心臓。こころのありか。
「それで、」

 もう一度、俺のこと、好きになって?




「みはし、すき。」

 ずっとすき。
 阿部のくちびるが言葉をなぞるふうに、動きだけでつたえる。誓いの言葉。目を、瞑った。最期の花弁が、ほろり、と傾く。三橋は、阿部にキスをした。
 つぎに、彼が目蓋を開くとき、そこに恋はもうないのだ。

 最期の一枚が、散る。


 最期のくちづけはいばらの棘のようにするどく、花のように甘く芳しい。
 それは最初のくちづけだった。











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「三橋、」
 練習中、腕をひかれる。用具庫の陰、皆からの死角に引き寄せられ、汗の伝う阿部の肌、ユニフォームの埃っぽい胸に抱き納められる、そうして、くちづけを。
「すきだ、」
 阿部は言う。
 いつか、同じ事をしてくれた、阿部はこの阿部と同じ阿部。違うのは、今抱きしめている恋が「あのとき」の阿部と三橋のあたため育てた恋ではないと言うことだけだ。
 同じだけど、違う。このこいは。
「三橋、好きだ。」
「…知ってるよ。」

ずっと知ってた。

 大丈夫、阿部君、阿部君、俺はずっと、覚えてる。
 阿部は不思議そうな顔をして、阿部が散らして忘れたことにより、三橋がひとり引き受けた花の亡骸も知りもせず、それからもう一度芳しいくちづけに耽るのだった。










さようなら、あなた。












かわいそうなやまいのはなし。