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さっきから、俺のすることと言ったら、ぱらぱら零れ落ちたドーナツの屑をスニーカの踵で、ぐいぐい、床のタイルの溝に押し込むか、ほぼ空になったグラスから、ストローでずるずると外見ない音を立てて、もうないオレンジジュースを吸い上げるか、阿部くんの伏せた睫毛を眺めるばっかりだった。見る、ではない。眺める、だ。 阿部くんはMDのヘッドホンをしてオーラルの教科書に視線を落としている。阿部くんは睫毛が濃い。煙るみたいなそれが、ほっぺに淡く影を落としてる。 阿部くんのくちびるは、時折、音も発されずに、はくはくと微かに空を噛む。多分、目の先で追う英文の形に。ヘッドフォンの中で繰り返される、英文の形に。 阿部くんがこちらを見ないのを好いことに、俺は、阿部くんの観察に余念が、ない。 平日四時半を過ぎたミスドは空いていた。窓際の禁煙席から、くるりと頸を巡らしてみると、このボックス席以外では、奧の喫煙席の方にOLふうのオネエサンが座っていて、白い煙をぷかぷか吐き出している。俺の位置から少し身を捻らせると、カウンターでアルバイトの店員が、くああ、とおおきな欠伸をしているのが目について、こっちにも伝染する。くああ、と喉に膨らんだ欠伸を、ぎゅ、とかみ殺す。余韻で少し、涙目。 オレンジジュースをトレーに戻し、俺も、勉強をしているフリを、する。定期考査は二日後だった。部活は昨日から休みで、投げられないのが詰まらない。詰まらないけれど、帰りがけ、道すがらのさびれたミスドで、阿部くんと教科書を広げる内に、俺は、たくさん、勉強をする。たとえば、阿部くんの好きなドーナツはフレンチクルーラーでコーヒーにはミルクを入れる。砂糖はガムシロップ1/3程。 シャーペンをノックして、ノートに二重丸を描く。ドーナツ。◎◎◎。三つ描いた。 「三橋、何さぼッてンだよ。」 「う、」 呼ばれてしまって、俺は、阿部くんがこちらに向けているであろう視線と自分のそれがぶつかっちゃわないように、右下のあたりに視線をスライドさせる。阿部くんの左手が見えた。トレーの上のマグをとる。 クリームとガムシロ1/3のコーヒーは白いマグの中で、ゆらり、揺れる。おれは、そッ、と顔を上げて、阿部くんが口に含むところを、見た。喉仏の上下。の、やや上。視線が、ちょびっとだけ、合った。 「…少し、休憩すッか、」 俺の手許を見てから、阿部くんが言った。取り敢えず、阿部くんが俺に指定した数問を解いてあるのを認めたからだろう。俺がズルをしないように、阿部くんの肘の下に敷かれて「預かられて」いた回答集を放ッて呉れた。 回答を見るより先に、俺は口寂しいのを紛らわせるために、ドーナツをもう一つ追加しようと思って立ち上がる。阿部くんのマグが干されているのを見止めて「おかわり、貰ッて来、る?」と聞くと、ヘッドホンを耳から引っ張り抜きながら、「いい?」とマグを預けられる。椅子を引いた。 白いお皿に載る、オールドファッションと、フレンチクルーラ。オールドファッションは、ほんとうはエンゼルクリームとどちらにしようか迷ッたけど、こちらにした。さくさくしてて美味しくて好き。おかわりをついで貰ったマグからコーヒーをこぼさないように、俺は、ゆらゆら、席を目指す。一歩、二歩、三歩。歩くのが矢鱈真剣で慎重なのを、こちらを見ていたらしい、阿部くんが笑う。テーブルに着くと、教科書類は端に避けられていた。消しゴムのカスも、きれいにされている。 「さんきゅ、」 おだやかにまるい声。(さんきゅ、なんて!)短い言葉に俺は、ウヒッと笑いがでる。それから恭しく、ミルクとガムシロを差し出す。満面の笑みの儘。俺は、お手、が初めて出来た犬みたいな貌をしているんじゃないかな、自分でも笑っちゃうけど。 阿部くんは不思議そうに、ぱちぱち、と瞬きをする。「…さんきゅ、」二回目。 ことり、とドーナツの皿を置く。手前にオールドファッション、阿部くん側にフレンチクルーラが来るように。俺は、少し得意げになっていた。の、かも知れない。生意気だけど。阿部くんの貌を、上目遣い、下から掬い上げるような恰好で、見上げた。 「ど、ぞ。」 阿部くんが、ドーナツと俺を交互、と見比べる。笑った。うれしい。 伸びた手、ドーナツ、掴んだのは、はたして、 オールドファッション。 「…え、」 「えッ、て。」 阿部くんは、ぱくり、ひとくち口に含み、モゴモゴとそ知らぬふうにオールドファッションを咀嚼する。俺のことを見ながら、だって、と言う。 「さっき食ッたし、フレンチクルーラー。」 そうだ、そうだった。俺は少し耳のあたりに血がのぼるのを、感じる。格好悪い。よく考えなくても、そうだ。幾ら好きでも、折角、種類の沢山あるドーナツ屋さんで、同じの、二個、食べるひといないよ、ね。そりゃあ、そうだ。 「そ、ですよ、ね。」 「だろ、」 おれは、すごすごとフレンチクルーラを手に取る。これも、嫌いじゃないから別にいい、これも、うまそう。歯を立てると、しゃくり、と砂糖の固まり。淡い触感。 阿部くんは俺の手許を見ながら、矢っ張り笑ってる。何だか嬉しい。好きなこが笑うの、嬉しい。阿部くんが、皿にドーナツを一旦置く。マグに、手をのばす。 「…え、」 「えッ、て。」 阿部くんはしごく可笑しそうだ。なんだよ、と。 「だって、」俺は、ぱちぱち瞬きを繰り返す。 だって、だって阿部くん、ブラックの儘、飲んだ。 テーブルの上で、ガムシロップとミルクが、ころり、と所在ない。俺みたいだ。 「ど、して?」 「…どうして、て。」 意地の悪い貌で笑う阿部くんは、不敵で恰好いい顔だけども、オレは何となく、悲しい。悲しいな、と茫洋と思っていたら、顔に出たのか、阿部くんが、眉根を寄せた。 「…ンな貌すんな。」 ことり、とマグをテーブルに戻す、阿部くんの声が、ちょっと苦い。ブラックのコーヒーそのままみたいに。「ンな貌」とは、一体、オレはどんなにブサイクな貌をしていたのだろう。 俯いてしまうと、頭の天辺の方から、意地悪したよ、悪かったよ。と矢継ぎ早に阿部くんが言う。顔を上げると、両手を上げてみせた。ホールドアップ。 「俺だって、知ってる。」 「三橋は、オールドファッションとエンゼルクリームをよく頼む。あとたまに、ダブルチョコ。飲み物はオレンジジュース。…甘いのに、甘いののコンボって、どうよ。」最後は、混ぜ返すふうに言う。それで、とついだ阿部くんの目が、少し細まる。あとは、付け足すふうに、「それで、…オレのこと、よく見てるよな、オマエは。」と言った。 オレは、何だか呆然とした気持ちになって、だって、オレはいつも観察していた気になっていた阿部くんから、あれやこれや、知られていたのに、何だ、同じだ、何て、思ったから。 「もしかして阿部くんは、オレのこと、好きなのか?」 と聞いたら阿部くんは、いちごみたく赤くなってしまったのだった。 おれは、噛みついて縁の欠けているドーナツを望遠鏡のように眼前にかざして、ドーナツ越しに阿部くんを見る。 甘い窓の円、輪っかの向こうで、阿部くんが真っ赤な貌で、莫迦、といった。 |
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美味しいワッカの食べ物、その名はドーナッツ カユイ!カユイカユイ!(2006/0208) |