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部活終了後、夕闇の涌く時間に部室は最う、人のいきれの名残すら感じられない。 ふたりきりになると時折、阿部のスイッチが切れてしまう、と言うのは三橋の印象で、電池仕掛けのそれが、やわやわと動きを鈍らせるのではなくて、スイッチがぱちん、 と切られてしまうかのように、阿部は急に押し黙る。誰の前でもなく三橋の前でだけ。三橋同様、阿部だって、そもそもあまり口数の多い方ではないけれど、三橋には、判る。エアポケットに落ちたみたいに、ふつ、と阿部の気配がなくなるのが。判ってしまう。 みんなの帰ってしまった部室のベンチに腰掛けて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる阿部を、三橋はただ、 受け止めるしかできなかった。寧ろ、そうすることしか思いつかないし、屹度これが一等正しいのだと思ってもいた。 そこには言葉はない、マウンドのように何かしらのサインも。こいびとめいた睦言も、キスもない。ハグと言うには余りに稚い、 ぬいぐるみに縋る幼児みたいに、よるべない顔で阿部はただ、三橋を、抱く。 三橋は阿部の硬い髪を、スイッチの戻るまで、よしよし、と撫ぜるだけ。彼が何を見ているとか、考えているとかは一切、 及びも付かぬ、ただ、待つ。抱き合いながら、けれど、ひどく孤独な作業だった。 首筋に押し付けられた阿部の鼻先は、冷たかった。シャツから露出した肌に、阿部の髪が触れる。 固く短い髪はちくちくと三橋の肌を刺す。痛いというよりむず痒い。そわそわと痒くて、それがこそばゆい。 息が頸に当たる。途端ぞくり、と背を走るものがある。だのに、三橋は今、たった一人きりだなぁ、と思う。 「あべくん、」 微かな声で名前を呼ぶ。あべくんはやく、戻ってきて? 平素なら聞き漏らしそうな程に、か細い声も、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた、ゼロセンチの距離では、それでもきちんと、届くのだろう。返事の代わりに、背中にそう指がとんとん、と撫ぜた。 阿部の鼻息が、三橋の髪の毛をふわり、くすぐる。 (あべくん、いぬみたい、だ。) 三橋の頬が、安堵にやわく、笑みを象った。 阿部の背にまわすかいなに、力を込める。(はなさ、ない) 阿部を胸に抱くと三橋は、小さい頃に着ていた水色のセーターを思い出す。晴れた夏の朝みたいな、きれいに澄んだ色だった。 モヘアのセーター、あれは、母の手製で袖と襟の部分に細く、一層、濃い青で縁取りがしてあった。 一等、気に入りだったセーター。 あのセーターは、気に入りのわりに、どうにも、毛糸の質が三橋の肌に合わなかったらしく、 触れている素肌の部分が、ちくちく、朱くかぶれたりしたものだから、強請っても、なかなか母は着せてくれなかった。 それでも、時折、ひとりで箪笥から出しては、その青に顔を押し付けたりしたものだった。 (あれは、じぶんだけの、青。) 阿部を抱きかえす腕に、仄かに、力が籠もる。肌を刺す髪の感触が、それを呼び起こす。 (ああオレは、あのセーター、どこへやったのだったッけ。) 三橋は思い出せない。 窓外で、夕闇はこんこんと濃くなる。もう、夜と言ってもいい頃合いだろう。 「みはし、」と。 阿部に呼ばれた。ような、気がした。彼のかすかな息づかいが、あたたかに、三橋の鼓膜を湿らせる。 もっと、呼んでくれればいいのに。 「三橋、」 さっきより、強めに、呼ばれる。それで三橋は、ああ、阿部君のスイッチが、入った、と。 本人に言えば叱られそうなことを、ぼんやり、思うのだった。 これで漸く、ひとりから、ふたりになった。 「スイッチの入った」阿部が上向く。眸に蛍光灯のひかりが射し、三橋を写していた。 「三橋、」もう一度、名前を呼ぶ。それで、目を瞑った。くちづけをされた。 押し付けられたくちびるは、首筋に感じた鼻先同様、すこしだけ、冷たい。くちづけの合間に、確かめるように、 みはし、と呼ぶ声だけが、あたたかなような気がした。一度、阿部の顔を見、そうしてまた、閉じる。 心臓がどくどくと煩いのとは別に、どこか冴えだす頭の一部分で、セーターの色を思った。強く瞑る、 目蓋の闇に青は、もう、浮かばない。ちくちくした感触を頼りに、今度は三橋から縋る。はなさない。 「三橋、」 名前の熱に、色の全てが溶けた。繰る、くちづけに、耽る。 「あべくん、お帰りなさい。」 暮れてゆく空に、青は残らない。 (それは、思い出せないセーターの居場所みたいに。) 失くしたことさえ、今の今まで忘れていた。セーターを思った。 |
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絵板より、釣り拾い。(2004/11/18)
再アップ(205/03/29) しめっぽいな。 |