![]() お廉は、この春、武家の養子となり、かねてより許嫁とされていた榛名家のご嫡男、元希様の元へお輿入れが決まりました。榛名元希様は廉の乳兄弟、阿部隆也様の通われた剣術道場の先輩であり、 お家柄上の上役です。 だから、廉と元希様の祝言には、隆也様も参列することでしょう。 廉は元々、妾腹で、母は奉公をしていた三橋屋から少々の金子を受け取り、暇を下されてからは、 母子でちいさな長屋で暮らしていました。その後、廉の母は御家人の阿部家に奉公し、隆也様の乳母を務めたのでした。三橋の家に引き取られたのはごく最近のことで、実父に呼び戻された理由がこの、 豪商の三橋家の持参金目当てに計られたような婚儀であることに、廉は、隆也様のことを考えると胸が、しくしくと痛みました。廉は密かに、隆也様に恋いていたのです。 隆也様をお慕いする廉のこころを知る実父には「無役の男になぞ遣るものか」と言い渡されました。 役高も頂けぬ貧乏侍にはやれぬと。然し、そんな隆也様も今は見事、御番入りを果たし、家督を継がれたと 耳にしました。ならば屹度、隆也様も遠くなく、お嫁御を貰うことでしょう。 若し、廉の縁組みの決まる前から、阿部家が公方様より、役職を頂いているようなお家柄だったのなら、 廉は阿部家に嫁ぐことが出来たのでしょうか。それも、今となっては分かりません。 他人のものになってしまう廉を、隆也様は、一体、どう思うのか知ら。 決して口に出してはならない言葉は、涙となり、昼となく夜となく、廉の頬を濡らしました。 お嫁にゆく前日、それは、梅の薫るあたたかな午後でした。養子に出された武家のお屋敷、 廉の養父に気に入られている隆也様は、隠居暮らしの手慰みに請われ、時折、将棋を差しにいらっしゃいます。 例に拠り今日も。廉は、離れから、襖越しに其の音に耳を澄ませます。隆也様の打つ、迷いない、 射るように冴えた駒の音をこうして聴くのも、今日が最後でしょう。勇気を振り絞り、 お茶を替えに行く下女を下がらせ、廉は、自らお茶を汲みました。 「このたびは、お目出度う御座います。」 「…有難う存じ、ます、」 深々と頭を下げた隆也様の声は耳に馴染んだ、あたたかなものでした。だのに、他人行儀な、 型どおりの祝いの言葉は、廉の胸にやわらに広がる痛みを与えました。それは鈍い棘のようです。 廉は一礼すると、最う、疼く痛みに顔すら、上げられないのでした。 養父が下女に呼ばれ、座敷を出てしまうと、二人の間にはさざ波のようなしじまが涌きました。 ここのまま、時間など止まってしまえばいいのに。廉は願わずにはいられません。 余所のひとのものになぞ、なりたくない。 廉は、隆也様に貰われたい。 森々、と静まる部屋で、火鉢の墨がぱちん、と爆ぜました。その音に驚き、顔を上げると、 隆也様がまじまじと、廉の顔を見詰めていました。頬がじん、熱くなるのが自分でも分かる。 そのままひととき、二人は見詰め合いました。見交わす眼差しは、まるで穏やかな抱擁でも交わしているかのように、 静謐で深い。それは、触れもしないのに、まるで完璧な交歓でした。 けれど、廉には分かりました。隆也様も自分と同じように、熱い想いの滾りを抱えている。 それは確信に近い、直観でした。廉にはそれが、分かる。隆也様も、焦がれているのだと。 隆也様にも知れたに違いない。 ぱちん、ともう一度墨の爆ぜる音が響きました。 どの位そうしていたでしょうか。 「これ、」 「え、」 隆也様が懐から萌葱色の袱紗を取り出しました。その縮緬の包みを、廉の膝の上に置きます。 「開けてご覧、」 「な、なに…、」 「いいから、ほら、開けろッて。」 以前のように伝法な言葉に胸奥が上擦りました。それは、お嫁入りの決まる前のような。釣られて、砕けた 口ぶりで、うん、と肯くと廉は、袱紗をあけ、そして目を見開きました。 「あ、あの、これ?」 「遣るよ、」 袱紗の中には一本の簪がおさめられていました。ちいさな珊瑚玉を幾つも繋ぎ、 一つの大きな珊瑚玉のように仕立てられた凝った意匠のものです。その紅の美しさといったら、 庭に咲く紅梅の花房そのまま、芳しい薫りすらしそうなほどでした。 うつくしい簪。廉は、それに、見覚えがありました。それは、先年お亡くなりになられた隆也様の母御の 形見の品のはずです。隆也様の大切なものに違いありません。 「こ、これ、は…うけとれない、よ…。」 これは屹度、隆也様のお嫁御陵の髪にこそ、挿すべきものにちがいない、と廉は思いました。ならば、 廉にはその資格がないと。 視界が涙でじわり、と滲むのが分かりました。隆也様の顔をきちんと見ていたいのに、ほたほたと、涙はわいてとどまることを知りません。隆也様の指が、そのひと粒を掬いました。 「貸してみろよ、」 手の中でやわい春のひかりをはじくように、珊瑚玉は瞬きます。奪うように簪を手に取ると、 隆也様は、廉の淡い色の髪にそ、と簪を挿しました。 「矢張り。絶対ェ、似合うと思ってたンだ。」 ずっとそう思ってた。そういって、くしゃり、と笑う隆也様の顔を、廉はこの先、忘れることはないでしょう。 「俺が貰いたいくらいだ、」 ほたり、こぼれた涙の一粒は廉の鴇色の着物の膝に丸い跡を付けました。 (たかやさまは、なんて、) 「ひどいひと。」 ちいさく呟くと、廉は、幼子のようにわんわん、声をあげて泣きました。 開けきった襖の向こうから、梅香を孕んだ風が差し込みます。梅の花は、冷たい春の風にあおられ、 廉の涙のようにほたほた、花弁を散らしていることでしょう。 廉は明日、お嫁にゆきます。 隆也様ではない、別のひとの、お嫁にゆきます。 |
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--------------------------------------------------- ※商家の娘(町人)の、武家に嫁ぐさいには、身分違いの問題になります、 拠ッて、武家に養子に入る、という手順を経て、婚儀が執り行われるのです。 ※小普請組、というのは、無役で、職禄のつかない、いわば役人予備軍のようなお武家様です。(ファジー) えと、ウロの知識で書いた偽時代劇ですので、余り信用しないで下さい。 罪深いオタクで済みません。ありえなくて済みません。 三橋は男の子です…よ…。(忘れてなんかないやい)(1/20) |