組屋敷の木戸には祝言を祝う紋付きの提灯がぶら下がり、仄くらい宵闇に沈んだ路に橙色のひかりを 落としていました。どこのお屋敷に植わるものでしょうか、あわい灯りに、白梅の花弁がちらちらと浮かび、零れます。
 まるで涙みたく、ほろほろと、零れます。


 今日は、組頭を務める榛名家ご嫡男、元希様の祝言が執り行われていました。



 提灯を掴む手は、寒さに悴んでいます。一張羅の黒羽二重の紋付きの前を掻き合わせるようにして、 栄口は、まだ、宴席の賑やかさに浮かれた口ぶりで、
「花嫁、きれいだったな、」と笑いました。
「…あれは、前からきれいだったよ。」
 無感動に呟く阿部の横顔は、酒精に仄かに赤らみ、吐き出す息の濁りは、阿部の鼻先を束の間あたため、 そして掻き消えます。酒が過ぎたのでしょうか、酔いにまかぶらがじん、と痛みます。 ふらり、と蹌踉めき歩を乱した阿部を、栄口は横目で見、気付かぬふりをしながら、 足許の小石を下駄歯でこつん、と蹴り弾きました。



 呉藍裏の白綸子、打ち掛けを纏う、花嫁は確かに、とてもきれいでした。 始終俯き加減で裃姿の榛名に副う姿は可憐だと、誰もが思ったことでしょう。 榛名は役者のように整った顔で、悠然と上座に佇みます。
 その姿は阿部にはただ遠く思われました。金屏風を背に上座に座る新郎新婦、 千秋楽を祝うさざめき、仲人の謡う高砂。それら全てが夢の中のようにぐにゃりと捩れ、 ともすれば、明け鴉の声と共にぱちんと目が醒めるのではないかなどと、馬鹿なことばかり考えていました。
 朱い盃の振舞酒で喉を焼きながら、そんなことばかり。
 
 あの白い儚げな花嫁が、以前、自分のちいさな屋敷に奉公していた乳母と一緒に来ていた廉だなんて、 未だ、信じられないのです。菓子や子猫にはしゃいでいた子供みたいな顔しか、 阿部は知りません。白粉とあざらかな紅で化粧した、あれは、自分の知らない人間でした。 ただ、かたちをかえても例えようのない慕わしさと、内から匂い出すようなうつくしさには阿部にも、 覚えがありました。
(そうだ、あれは以前からきれいだった。)
 自分は知っていた。廉は子供じみた振る舞いやあどけなさでそれに蓋をしていて、 けれど、自分はずっと、気付いていた。そうして、ほころぶ花蕾を眺めるみたく、愛惜しんだ。
 触れられなくてもよかったのです。居てくれれば、それで、自分は満足なのだと、阿部はずっと、 思っていたのです。
(今更、それがどうと言うことでもない、)
 深く吐き出す息はほそく宙にたなびきます。そうして、跡形もなく霧散しました。

「ひとの奥方を、あれ、だなンて失礼だッたな。」
 阿部が自嘲気味に笑えば、直ぐ横の栄口はまた石を蹴り々々、
「お廉さま、か。」
 くすり、と笑います。空には、うすく痩せ細り、鋭利にひかる月が掛かっています。榛名の目に似てる、と阿部は思いました。
(あの男は、三日月に細めた目で、嗤ッた。)
 榛名は宴席で、「お目出度う御座います、」と頭を下げた阿部に、えたり、と笑んでみせました。
「ほんとうにそう思ッてンのかよ、タカヤ。」
 小さな声でした。ともすれば、酒座の騒めきに掻き消されて仕舞ったかも知れないくらい。 しかし、阿部の耳にはちゃんと、聞こえました。
 その瞬間、この男は阿部が未だに廉に恋ていることを知るのだと、悟りました。父の着古し、 羊羹色に褪せた紋付きの羽織の、みすぼらしいおのれが、恥ずかしいと思いました。そのうえ、 ただ押さえつけていた恋情は、思い人の夫に知れている。
 最初に羞恥に目が眩み、怒りが指を震えさせました。然し、それから顔を上げる頃には、 全ての感情を薙ぎ倒すように諦めが阿部のこころを覆いました。絶望に似た、それは凪のような諦念です。
「お目出度う御座います、」
 もう一度、しっかりとした声で繰り返した阿部の声に、榛名は詰まらなそうに一瞥を呉れ、 裃の肩を行儀悪く竦めて見せただけでした。悪戯の失敗した子供の貌。
 立ち上がる間際、榛名に副う廉をそ、と盗み見れば、皺になることも構わず 白無垢の膝を握り締めて俯いています。爪紅に彩られたゆびさきは、力を入れすぎて膚は白ンでいて、 阿部は、そればかりが痛ましい、と思いました。綿帽子に隠れて見えない貌は、 若しかしたら、泣いているのかも知れない、とも思いました。そう、紅い簪を挿して遣ッた昨日のように。
 その姿は、幼い頃、野犬に怯え、阿部に縋ってきた幼い廉と被りした。たすけて、と泣きじゃくりながら腕にしがみついてきた廉。

 けれど、最早、守るべきは、

 周囲と共に千秋楽の祝いを口にしながら、勧められるまましたたかに酒を飲み、 阿部はひたすらにおのれを酔わすことに腐心しました。押さえつけ、諦念で覆ったこころが再びさざ波立とうと するのを、そうして押し殺しました。朱い祝いの盃でこの恋を殺すのです。

 目を伏せ間際、綿帽子から覗いた廉の紅い唇が動きだけで、隆也さま、と呼んだのを、気付かぬふりをしました。



 明日の勤めを理由に中座した阿部と、同僚の栄口はそのまま、 帰るともなく未だ提灯の点る繁華街へと向かいました。呑み直そう、 と誘われるまま、栄口は提灯で、危なっかしい足許を照らして呉れます。 そのまま、阿部がどの見世にも入らずに通りをひとつ、ふたつ、通り過ぎて結局、 元の通りに戻ってきてしまっても文句も言いません。半刻程経ったでしょうか、下駄歯をからり、 と鳴らしながら、栄口がやに真面目に口を開きました。

「阿部、おまえはさ、」
「ンだよ、」
「あと百年くらい生きれば?」
「は?」
 意味が分からない、と眉を寄せれば、それを見た栄口が、怖い貌をすンなよ、と溜息を吐きます。
「そうして長生きをして…、そうすれば、あのこと、」
 添える日が来るんじゃあないの、と。ぽつんと呟く栄口の言葉にはやわらかな微笑みが混じります。 揶揄ではない、春の陽めいたあたたかな。
「馬鹿を言え、」
「馬鹿になんなよ。」
 真摯な声。それを聞いた途端、阿部は自分のゆびさきが冷え、震えていることに気が付きました。気分が悪くなり、 阿部は足を止めてしまいました。ぎゅう、と掌を握り込み、震えを押さえつけようとすれば、 冷たい癖に汗で不愉快に濡れています。上擦る胸にすう、吐息を吸う。
「煩ェよ、もう、あれはひとのモンだよ。…それに、俺ァ、人妻の趣味はネェよ、」などと、混ぜ返せば、
「すきなくせに、」
 非難がましく一言言うと、栄口はすん、と洟を啜ります。
「すきあってるくせに、」
「…煩ッせぇ!」
 怒鳴り、たて続けざまに口を開こうとした途端、吐き気が襲い、ウッ、と口を押さえ阿部は道の端のお歯黒溝に俯いてしまいました。
(煩い、お前に何が分かる、お前は何を知っていると言うんだ。)
 言いかけた言葉は吐瀉に遮られ、最早、声になりません。げえげえと吐く、 生々しい匂いを嗅ぎながら、呆れたみたく、栄口は言います。
「吐いて楽になるものもあるよ、」
 それから黙って背を撫でて呉れる栄口のてのひらは、優しい。阿部は、生理的に滲むのとは別に、 だらだら、頬をだらしなく伝う涙を羽織の袖で乱暴に拭いました。
 苦しそうに噎せながら。馬鹿、と呟きながら。阿部はか細い月を眺めました。
今頃はもう、組屋敷の木戸に灯された明かりは消されているでしょう。

(廉は今夜、あのおとこに抱かれるのか、)

 触れられない花でもよかったのです。廉が廉であるというなら、それでいい、と。そばにいられるのならと、 ずっと、そう思っていたのです。
 思っていたはずなのです。

 風が出てきて羽織の袂に入り込みます。凍てつくそれに、胸奥が透きました。 お歯黒溝に蹲りながら、湿濃くにじむ涙を乱暴に羽織で拭うと、擦れて目許が痛みました。 噎せる声が嗚咽じみてくれば、目蓋には、殺したはずの恋が浮かびます。あの午后、廉の髪に挿した簪は徒花です。 実を結ぶことない愚かな恋を、廉の髪に咲かすほど。あさましい執着は阿部のこころを焦がすのです。 紅い簪は廉に似合いました、けれどそれは阿部の恋の亡霊でした。


 乱暴な風はなかなか止みません。酒に火照る頬にも切るように冷たい風です。 花は風に耐えきれず、今日の内に散りきってしまうかも知れません。惜しむことすら赦されずの、はないちもんめ。 摘まれた蕾は、自分の手の内で咲くことはありません。 廉に挿した紅い簪、自分ではない男との閨に咲いているはずの紅い花を思いました。

 はないちもんめ。
(自分は未だ、)



 あのこがほしい。









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※江戸時代、どッかの商人にどッかの若衆(だか、女形だかが)嫁いだ、と言う故事の あッたような気…が…します。(うろ覚え…)お、男の男に嫁ぐも、それで、堪忍して下さい… (2/11)