「こいのいろは」




「…死んじゃうかと思った、」
切れ切れの息で三橋が言った。顔は酸欠の為なのかそれとも羞恥か、まなじりのあたりまで赤らみ、 苦しそうだ。そんな三橋を見ていたら、阿部は、さっきまでがちがちに強ばっていた自分のてのひらが緩み、 あたたかくなるのが、分かる。未だ触れあうキスだけしか、したことがない。そンなキスですら、お互い未だ、 なれない。余裕がない。ただ、ちょっとくちびるをくっつけあったあとの、 そんなふうにたどたどしい三橋のしぐさに、阿部はひそり、優越を感じる。
「ほんとうに、息止める奴なんて初めて見たよ…、」
押さえきれずにくつくつ喉を鳴らすと、三橋もウヒ、と場違いに脱力する照れ笑い、 それから少し考えるようなふうに眉根を寄せた。
「あの、」
「あ?」
「はじめて、ッていうのは、あ、阿部く、は」
「あぁ?聞こえねえ」
「ッ、…なんでも、ない!」
「…言えよ、気になンだろ、」
ほら、と頬をつついて遣れば、三橋はええと、と少し逡巡するような貌をして、思い切るように、深く、息を吸う。
そして爆弾の投下。
「…あべく、んは、息とめるの俺が、初めてなら、じゃあ、止めないひととは、その、ちゅー…、」
「…ッ!してねぇ!」
思い至ッて頬が紅潮する。阿部は、わなわなと震え出すてのひらを握り締めた。


「巫山ッ戯ろよ、この、ばかちん!」

三橋の、「ごめん」の、「ご」の字に開き掛けた口を、声を、大声で阿部が塞ぐ。ついでとばかりに手まででた。折った中指を尖らせた拳骨で、ごっ、と掠める。歳の近い弟と日夜乱闘紛い、喧嘩慣れしている阿部としてはこの拳骨が如何に効力があるかは身を以て知っている。 (然しそれは、主に弟から繰り出されるのではなく、喧嘩両成敗としている母からの鉄拳制裁である。)

「ッ痛ァ…、」
「馬鹿言うからだ、この馬鹿たれ、」
ばかばかばかばか、ばーか。

子供じみて湿濃く言い募る阿部に三橋は、拳骨を落とされた額を庇うふうにおさえ乍ら恨みがましく、 「馬鹿、ッていうほうが馬鹿、なんだ、よ!」くちを尖らせる。聞き咎めた阿部が、ぎっ、と睨め付ければ、ヒッと、悲鳴ともなく肩を竦め、目を逸らした。然し、逃がす気のない阿部は三橋のおとがいを掴みぐい、とこちらに引き、顔を向かせる。一瞬視線がかち合うが、怯えたらしい三橋はぎゅう、と目を瞑った。
「おい三橋、コッチ向け。…また息、止めてンだろ、」
「…ッ」
「ばーか。死ンじまうぞ、」
そしたら俺、殺人犯かよ、などと言い、阿部がくつくつ喉を鳴らせば、三橋はじったり、嫌そうな顔で見返す。(また、ばかっていわれた!)
「あ、あべくんが、ば、ばかッ、だ!」
「あ?」
言い放ち、きッと、きつくシャツの胸元を握り締め三橋が、急に身を乗り出してきたかと思えば、ぐい、 と乱暴にくちびるを押し付けてきた。報復の心算か。頭突きめいたそれに、がつん、歯がぶつかる。刹那、口腔に鉄錆の味が広がる。

「「ッ痛!」」
ふたりで仰け反った。


口元を押さえながら、涙目の三橋が言う。くぐもる声が聞きづらいが、同じく口許を覆う阿部には、きちんと、聞こえる。
「ばか…。」
「…どっちがだッつの、」


聞かなくッたッて、ふたりとも大馬鹿だった。







「「ばか」」



ニッキより。あたまのわるいこぞうども。愚か!

若しかしなくても一等愚かなのは、わたし、です。(3/22)